昔の馬場ってどんなだった? 今はどうなってんの? そんな疑問が解決します。
写真をクリックすると、現在(2002年3月)の同じ場所と比較できます。
■戸塚について...

 戸塚は室町時代の文書では富怩ニ記され、朝倉氏の支配地だったというが、 詳細はわからない。江戸時代には畑作を主とする御朱引内の農村で、 戸塚・諏訪村から成り、日本橋から西へ向かう高田馬場道を中心に開けていた。
 この現在の早稲田通りに沿って、早稲田大学の敷地になっているところに、 江戸中頃、庶民信仰「富士講」の聖地”高田富士”が築かれ、 晴れた日は遠く富士山も見えるので、 「いい天気、高田へ富士が二つ見え」と詠まれたりした。  高田富士は今では水稲荷神社の傍に移されている。
 戦前の戸塚は、書店、下宿屋などのほか、植木屋の多い町で、 縁日の賑わう庶民の街だったという。
 荒川車庫〜早稲田終点を走る都内唯一の都電は、昔は王子電車といい、
王子駅と面影橋間を往復した。

 写真と戸塚説明  『写真が語る新宿 今と昔』 発行/新宿区役所総務部 より抜粋

御朱引内⇒いわゆる江戸の町の範囲内のこと・・・だそうです。
富士講⇒江戸時代に始まった富士山信仰。各地にプチ富士山(富士塚)を作っていた。
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