■戸塚について...
戸塚は室町時代の文書では富怩ニ記され、朝倉氏の支配地だったというが、
詳細はわからない。江戸時代には畑作を主とする御朱引内の農村で、
戸塚・諏訪村から成り、日本橋から西へ向かう高田馬場道を中心に開けていた。
この現在の早稲田通りに沿って、早稲田大学の敷地になっているところに、
江戸中頃、庶民信仰「富士講」の聖地”高田富士”が築かれ、
晴れた日は遠く富士山も見えるので、
「いい天気、高田へ富士が二つ見え」と詠まれたりした。
高田富士は今では水稲荷神社の傍に移されている。
戦前の戸塚は、書店、下宿屋などのほか、植木屋の多い町で、
縁日の賑わう庶民の街だったという。
荒川車庫〜早稲田終点を走る都内唯一の都電は、昔は王子電車といい、
王子駅と面影橋間を往復した。
写真と戸塚説明 『写真が語る新宿 今と昔』 発行/新宿区役所総務部 より抜粋
御朱引内⇒いわゆる江戸の町の範囲内のこと・・・だそうです。
富士講⇒江戸時代に始まった富士山信仰。各地にプチ富士山(富士塚)を作っていた。
|
|